猫の手舎は牛、豚、鶏を食べないようにしています。人間が肉を食べなければ生きて行かれないというのなら仕方ないのですが、肉を食べずとも人間は十分生きていけます。

可愛い動物たちをたくさん殺して食べていながら優しい顔をしていられないのではと思います。アメリカだけでも1時間に5千頭以上の牛が殺されているといいます。全世界ではどれほどになるのでしょうか?

絶対に食べるなとは言いませんが、せめて一週間に一度でも一か月に一度でもいいですから肉を食べない日を私にいただけませんか?

もし、世界中の人がそうしてくれたなら、わずかながらでも今日殺されるはずの牛や豚が何頭か今日だけは殺されないで済みます。

 

「肉食が世界を滅ぼす」ということを強く訴えている人がいます。

ぜひ、そのホームページをご覧になって欲しいと思います。

こちらがそのアドレスになります。

「肉食が地球を滅ぼす」

http://urx.nu/cmdX

「私の牛がハンバーガーになるまで」という本があります。

著者はアメリカのジャーナリストで2頭の酪農牛を取得して最期までを追って行こうということで始まりました。

私はこの本をある図書館で見つけ、これは生き物の仲間として絶対に読まなければいけないものだと思いました。

以下にこの本を読まれたという方の一文を紹介させていただこうと思います。

アメブロの「ブゥブゥマーチ」というタイトルの

文章か」ら引用させていただきました。

 ⏎



ジャーナリストである著者が、そのプロセスである「受胎から消費」までを、

1頭の、乳用種牛(酪農牛)から産まれた雄仔牛に焦点をあて、

成長を追っていきます。

                         

酪農牛(=雌)の寿命は通常5年だそうです。

最初の出産までの2年と、その後の搾乳期間の3年。

それを過ぎると、ミルクの産出量は減少し、採算の取れなくなった牛は、

「と畜場」へ送られます。


乳用種牛は、重い乳房に耐えられるよう、長い時間をかけて

体高のある骨格質へと改良されてきました。

(ちなみに肉用種牛はよりずんぐりとした小型のものへと改良)

つまり、牧場の乳用種から産まれる雄は、ミルクを出すわけでも

質のいい肉になるわけでもないので、誕生後すぐ市場へ出荷され、

安価で売られます。

落札された仔牛はほとんどがすぐに「と畜場」へ送られ、

ペットフードになることもあるそうです。


すぐには「と畜場」へ送られなくても、

肥育農家で「ヴィール(食肉用仔牛)」として4ヶ月間ほど育てられたり、

と畜の目安になる体重に増えるまでの16ヶ月間飼育されます。

また、雌雄の双子として産まれた雌は不妊症になる可能性が高いらしく、

一緒に売られていくことが多いようです。

ミルクの産出量が減った母牛同様、

乳用種の雄仔牛や若い雄牛たちは、安価なステーキやひき肉にされて

ハンバーガー用の肉になります。


妊娠は人工授精によるもので、

その精子は主に人工授精会社から買い取ります。

人工授精会社には種牛となる牛が何頭もいて、1日2回ほど、採取されます。

もちろん、発情しなければ採取できないので、

種牛の気分に合わせて何頭もの台牛が必要となりますが、

その台牛はすべて雄。去勢されてるわけでもなく、リッパな雄です。

巨大な種牛の重さに、雌では耐えられないからってのが理由なのですが、

雄が雄に発情???

・・・・・・・・・するのだそうです。。。

なにしろ、雄は雌を、雌は雄を見るのは産まれたときぐらいだから。

来る日も来る日も巨大な雄牛に乗られる台牛は、

このことをどんな風に感じているんでしょうか。

(中には嫌がる牛もいて、従業員に「このオカマ野郎が!」と殴られていました。

イヤがる雄牛にそんなマネさせるオマエはどーなんだよ)


アメリカ国内にいる900万頭の酪農牛は、年間700万頭の仔牛を産むのだそうです。

1日に、約2万頭。

4秒に1頭。


産まれた仔牛は数時間後には、母親と引き離されます。

雌仔牛は利益を生むので、温室に入り、

免疫物質が含まれる母親の初乳が与えられ大事にされますが、

雄仔牛や双子の雌仔牛は、母乳を与えられることはありません(主に代用乳)。

産まれたのが冬なら、冷たいコンクリートの上で、

ただ独りハンパじゃない寒さに震え、耐えるだけです。

初乳を与えられない雄仔牛やその双子の雌は死んでいく子も多く、

死んでしまったら堆肥の中へ捨てられます。

寒い冬を乗り切ったら、ほんの少しの放牧期間を経て、

再び日の当たらない小屋の中で「仕上げ飼料」

(早く「と畜」の目安である体重にするための飼料)

という不自然な食餌で、大きくされていきます。

                            


受胎から消費まで(ハンバーガーになるまで)を見届けるため

著者が購入した双子の雌雄仔牛も、「NO.7」と「NO.8」として、

他の仔牛たちと同じように育てられます。

「最期まで一傍観者という立場で見届ける」という決心は、

仔牛と接するうち、揺らいでいきます。

また、真面目で仕事に誇りを持っている農家の人間や、

色んな人たちとの関わり合いの中で、

自分の中の見方も変化し始めます。

途中、仔牛たちの母親が淘汰(と畜場行き)されたり、

最後の最後まで、著者は自分の仔牛をどうするべきか迷い続け、

そして選択します。



この著者は、本当にこの仔牛たちを「と畜場」へ送るのか、

送って解体するところを見るのか、

不安で不安で、最後まで読めるかな・・・なんて思っていました。

涙なしでは読めなかったけど、でも読み終えて、

この本に出会ってよかったなって心から思いました。

農家の立場からも描かれていて、あくまでも物事を冷静に見ようと

努めて書かれてあり、なので、私にとっても「畜産」や「肉食」について、

再び考え直す機会にもなりました。


以前は私も肉食していました。

でも、そのずーっと以前は、

「かわいそう」と言って給食に出た肉を埋めてた超アホな子どもでした。

それでも、いつの間にか平気で肉を食べるようになっていて、

自分の食べているその肉が、どうやってここに来たのか、

深く考えようとしませんでした。

「魚や肉は食べなくちゃいけない」って間違った認識も持ってました。


数ヶ月前、捕鯨擁護派団体の方と話をしたとき言われました。

「肉食はそれ(屠殺)を見ないことで成り立っています」

・・・なんかおかしくないですか、それって。

見たら成り立たない肉食・・・それで「食に感謝」~?


「肉」は最初から「肉」だったワケじゃありません。

「肉」になる前は、人間や人間が「ペット」として暮らす犬や猫たちと同じように、

母親のお腹から産まれ、感じる心を持つ「1頭(1羽)のどうぶつ」で、

私たちと同じように、1頭1頭それぞれの性格を持っていました。

人なつっこいの、警戒心が強いの・・・

「肉」は、そんな1頭のどうぶつが、

眉間に銃を打ち込まれ(これで即死するわけではありません)、

吊るされ、

喉をかき切られ、

皮を剥がれ、

首を落とされ、

バラバラにされていった、その一部です。


「<かわいそう>なんて理由にはならない」のは、なぜでしょう?

「そんなこと言ってたら何にも食べられなくなる、だって植物だって生きてるでしょ?」

そうやって話をすりかえられることがしばしばありますが、

大地と太陽の恵みである野菜を育てて食べることと、

人工受精・出産させ、仔牛から奪ったミルクを飲むことは同じでしょうか。

産まれてすぐ親から引き離し、薬漬けにし、角を焼き切り、

しっぽを切り、去勢し、太らせて食べることは、

穀物を育てて食べることと同じでしょうか。

肉を食べない方が健康に生きていけると証明されているのに、

食を選ぶことが出来る国にいて、なぜ肉を食べるのでしょうか。

食べる理由は何でしょうか。

「おいしいから」?


日本では現在、年間十数億個のハンバーガーが消費されているそうです。


「読者の方々が、食卓にのぼった命について考え、

スーパーマーケットで牛肉を手にしたとき、NO.7とNO.8、そしてNO.13のことを

思い出してくだされば、訳者として嬉しく思います。」

(この本の「訳者あとがき」より)