このページでは金子みすゞさんの
本日の詩をご紹介しています。
「きょうのみすゞさんの詩は・・・」
「木」です。
お花が散って
實が熟れて、
その實が落ちて
葉が
落ちて、
それから芽が出て
花が咲く。
さうして何べん
まはったら、
この木は御用が
すむか知ら。
(木:金子みすゞ)
『金子みすゞ全集』
(JULA出版局)より
木の一生を想いうたった詩です。
木は花を咲かせ、実をつけ、
人を楽しませてくれるけれども、
みすゞさんはこの木を心底心配し、
何べん回ったらご用が済むのかと考えるのである。
どこに、木のことをこのように思う人がいるでしょう?
私はみすゞさんのこんなところが好きです。
だれも気にも止めない物に対して、
深い愛情をもって思い悩む。
みなできることではありません。
何べんまはったらというところが
こころ憎いことば使いだと思うから。
木の一生も人の一生も似ていますが、
違うところは、人は一回きりなのに対して
何回も何回もくり返すこと。
大変だろう、疲れるだろう、
と考えてあげる。木にも心があって、
感情があってなにかを思っているに違いない。
そうみすゞさんは木を見つめています。
鈴木 澪
「木」という題の詩が2つある。
もう一つは小鳥は小枝のてっぺんに、
で始まり「あの木はうれしかろ」と…。
この詩は「蜂と神さま」のように、
いのちのつながり、
いのちの輝きを伝えていて好きだ。
大阪の小学校(池田小学校)で
子どもたちの命が失われる事件があり、
その罪を犯してしまった者をさばく法廷で弁護人が、
この詩を読み、反省をうながした記事は有名。
大西 進